と言ったあとで傍にあるスプラッシュシンバルや小学生くらいの子供の頭をはたく。
特段意味は無いが、彼にもツッコみたい時があるということ。
誘導尋問のようにして彼に言葉を話させることは許されない。
それが例えお約束の流れでも同じことである。
自分が持っている信念を、自分の言葉で発信する。
それこそが男の本懐を貫く方法の重要な一つなのである。
それが仮に「いつやるの!?」に対する「今でしょ!」のお約束でも、
それは彼にとって林先生に屈服したのと同義なのである。
これは田代父から田代拡へ教え継がれた言葉であり、
田代家の家訓とも言えるような名言である。
人を陥れようとしても、最後は自分に返ってくる。
それならばいっそ、最初から正直に生きるほうが
いいんじゃないかみたいな、たしかそんなこと。
田代氏の真っ直ぐさが伝わってくる一言であった。
初パークダイナーに2人で臨む寸前のミーティングでの一言。
音楽に生き様を込め、魂で歌う田代拡氏の真剣さを物語っている。
決してウケを狙わず、優等生スタイルを貫き通して
メッセージ性を前面に押し出す彼の押しつけがましさは、
この発言の謎の自信にも反映されている。
自分の発言を悔い、素直に認めることができる彼の正直な性格を表した一言。
ちなみにこの時、彼が一体何を言ってしまったか。
パークダイナー打上げで阿見のスリランカ料理屋「バナナリーフ」にてTheMuteと食事していた時のこと。
スリランカ料理のカレーには「ナン」ではなく「ロティ」という薄いナンみたいな物が出る。
食べ方は、器からスプーンでお皿に移したカレーにロティを千切り乗せ、"和える"という食べ方をするのだが、それを店員さんに説明してもらい「これがナンとの違いなのね」みたいな話をした後に一言。
「え、何だって?」
他意はなく、ただ話を聴き返しただけのことだったのに最悪なタイミングが彼に失敗を与えてしまった。
そしてすかさず「え?なんでそんなクッソ寒いギャグ放ったの?今。」という彼の相棒の辛辣なツッコミに対して言ったのがその言葉である。
不運である。
そのままの通りである。
やるかやらないかで言ったとしても、やる気がないならやらなくても良いのだ。
そんな消極性も恥ずかしがらずにさらけ出してこそなんぼである。
うわべだけのやる気ならば口にすらしなくていい。
やる気がある時にしっかりやってさえいれば、帳尻は合うということだ。
彼が好き好んでよく使いたがっていた自己紹介。
「肌が黒いからテニスコーチとすぐ分かる」という意味合いだが、
ぶっちゃけ言うと「分からない」というのが実際のところ。
何せ、テニスコーチ以外だって肌が黒い人はたくさんいるのである。
しかも悲しいことにライブハウスやステージは基本的に暗く、
肌の色の濃淡というのは存外分かり辛いものでもある。
そのため、現在はこの自己紹介文は使用を制限されてしまっている。
COACH3人で荒川沖庄やでダラダラ飲んだ帰り道に呟いた一言。
何コレくっさ!!
確かに百歩譲って、地元の友達というわけでもなく、
かといって音楽関係の知り合いというわけでもなく、
メンバー募集での集まりで、尚且つ同い年で、荒川沖周辺で集まった
というのはかなり運命的な偶然の確率だとは思うけども
それを口に出してしまうのは相当恥ずかしいと思います。
もう「酔っぱらっていた」で済まされると思ったら大間違い。
死ぬまでネタにする覚悟でやっていますから。僕は。
ふれあいセンターながみねでの「いきSPA」様イベントのライブ後のミーティングでの一言。
「ね」って言われてもねぇ。リーダー。
何をいまさら!!!!
異様に人が集まらなかった2013年の忘年会の席での一言。
ホント何様のつもりでいるんだか問いただしたくなる感じの名言である。
辞めるまでしなくてもいいとは思うが、果たして辞めなきゃいけないのだろうか…。
はぁ、そうですか。…なんかありがとうございます。
意外と堅実派な彼が「そんなのパンクじゃねぇよ!」と言われた際に返した一言。
彼の場合はただやりたいことが堅実なだけで、心の奥底にはパンク魂を秘めているということ。
特に最後の「そうだろ?」に、そこを確認したい彼の気持ちが如実に表れている。
パンクバンドのボーカルにしては堅物そうに見えるので弾けていなそうに見えるが、
ハートの中は沸々と煮えたぎっていることを象徴する一言である。
明日できることまで今日やる必要はない。
明日できることとは、明日やることに意味があるから明日でもできるのである。
それ以前に、今日すべきことに全力を注ぎ、今日を精一杯生き抜く。
それが充実した明日を過ごす為の要点なのである。
「人がすでに作った道を恐る恐る渡るくらいならばそんなものは壊して、
信じられる自分の道を作り、その道を歩いて行きたい」の意。
かといって他人を信じていないのかというと別にそんなこともないのがミソ。
最初に言ったことを曲げないことも立派だけれど、
自分が間違えたと思ったことは素直に認めて訂正してお詫びする。
それが潔い男の生き方であり、冷たい人の波を上手に泳いでいくための処世術なのだ。
もちろんここで言う「二人」とは土屋と柴原のことなのかと思うんですが、
そもそも土屋はあまり敵を作らないタイプだし柴原も君子危うきに近寄らないタイプなので、
どちらかというと本当に敵視され易いのはこれを言ってる田代君本人なんじゃないのかなぁ
と、少し不安になる柴原でした。
というかそれ以前に僕が彼を敵視するスタンスでCOACHは成り立っていますから。
クランケ兄さんの雄姿を応援しにHOTLINE北関東・埼玉エリアファイナルへ向かった道中の一言。
トーナメントイベントで勝ち上がるためには、ただそれしかない。そして、出たところで誰も応援に来てくれなければ寂しいのでいい仲間に恵まれなくてはならない。言うは易しだが行うは難い。
そう。身内イベントの最たるものが南茨ROCKなのだから当たり前なのだ。楽しさだけならどのLIVEにも勝てない。しかし楽しいだけでは済ませられない時もあるのである。
でも皆さん、そのくらいこの田代という男は南茨ROCK FESを楽しいと思っているのです。